不幸なことは決していいことではありません。しかし、なぜか自分の身の周りに起こった不幸を自慢するような人は、見たことがないでしょうか。
そのような人は、なぜ嫌なことの象徴である不幸なことを自慢しているのでしょう。その原因は、その人の心理状態にあるのです。
今回は、不幸自慢する人の心理について紹介します。

周りの注目を浴びたい

不幸なことは単純に「話のネタ」になります。従って、自分の不幸をネタに、色々な人に注目してもらうことができるのです。それが自慢のようになってしまっています。
例えば「俺なんてこんな不幸なことがあったんだ」と、普段の会話の中にも取り込みやすいのです。
不幸なことを言うと、周りも何かしらの反応を示してくれるので、周りから注目される可能性も高くなります。そのようにして、不幸話をネタとして盛り込んで人間関係を形成している人もいます。

過去の不幸を乗り越えたことを褒めて欲しい

自分の不幸ということは、それを乗り越えたから今の自分があるといっても過言ではありません。そのことについて他の人から褒めてほしいと思う人も、不幸自慢をしてしまいます。
確かに不幸を乗り越えたことはすごいので、その不幸自慢を聞いて褒める人はたくさんいます。そのような人の称賛の声を貰いたいがために、不幸自慢をする人もいるのです。

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同情してほしい

単純に「こういうことがあった」と言って、それに対して同情して欲しい人も、不幸自慢が多いです。
人間とは同情で自分の気を引こうとする人もいます。そのような人が、人間関係をつなぎ留めておくために、同情させようとする魂胆があるのです。

構って欲しい

自分と構って欲しいと考えている人も、不幸自慢が多い傾向にあります。
なぜ構って欲しいことが不幸自慢に繋がるのかというと、単純に「会話」ができるからです。
構って欲しい場合、様々なことを話してその人を引き留めておく必要があります。不幸自慢はその話の一部なのです。

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目立ちたがり屋で寂しがり屋

不幸自慢をする人は、目立ちたがりだったり、寂しがりだったりします。もしくは、その両方を兼ね備えている可能性もあります。
なぜかというと、不幸自慢をすることでその人は注目されるからです。注目された場合、目立つことができるし、人が集まるので寂しさも紛らわすことができます。そのような糸で、色々な人からの注目を集めるのです。
最終的にそのことに同情してもらって人間関係が形成されることもあるので、ある意味ひとつの戦略として「不幸自慢」を使っていることがわかります。

不幸な自分に酔っている

自分が不幸なことに酔っている人がたまにいます。そのような人も、不幸を自慢したがります。
「自分はこれだけ不幸なんだ、かわいそうだろう」というような話し方をするので、その不幸に対して本当に不幸なのかわからないことも多々あります。そのような人は自己満足で不幸自慢をしているだけなのです。

おわりに

今回は、不幸自慢をする人の心理について紹介しました。
不幸は自慢するようなことではないのですが、やはり人と関わっていく上で、不幸な話は盛り上がることが多いです。従って、会話に取り入れても笑いや同情を生み出すことは充分可能なのです。
そのような使い方をする人は、やはり構ってちゃんのような要素があるにしろ、ある意味人付き合いがうまいと言えるのではないでしょうか。