幸せって感じるときってどういう時でしょう?幸せになりたいと気合を入れてなれるものでもないですよね。幸せは自分の感情的なものです。自分が幸せになったからと言って誰かが不幸になることはありません。遠慮することなく幸せになっていいんです。
幸せの価値観は自分が決める
突然ですが、あなたにとって幸せって何でしょうか?この永遠の課題とも思われる質問にすぐに回答できる人は少ないと思います。なぜすぐに回答ができないのか。それは幸せという感情は人によって異なるからです。高級車に乗って綺麗な奥さんと結婚して豪華に暮らすことが幸せと考える人もいれば、屋根のある家に住んで3食ご飯を食べられれば幸せという人もいます。自分が幸せと思えばそれが幸せなのです。
他人に幸せの定義をさせてはいけない
あなたが考える幸せは誰が考えた幸せでしょうか?今幸せじゃないと思っているならば、その幸せは自分で考えた幸せですか?もしかして、世間様がこしらえた幸せ像ではないでしょうか?
人が作った幸せはあなたにとっての幸せとは限りません。高級車を買って幸せになれるのは販売店だけかもしれません。見栄を張ることと幸せを感じることを混同してはいけません。自分は何があれば満足なのかを考えてみましょう。そのなかで自分の幸せの基準がわかるはずです。
相対的幸福感はただの優越感
幸せは自分の中で湧き上がってくる感情と書きました。ですので、他人との比較をして得られるものではありません。もし、自分の年収が1000万円を超えていたとしても、隣のAさんは年収2000万円となれば悔しい、不幸だと思うかもしれません。それはただ、他人と比べて優越感を得ているだけなのです。常に誰かに勝っていないと幸せと感じることができません。競争の中で戦い続けて得る幸せは、同時に他人との比較による劣等感も得てしまうわけです。誰かに勝って、買ったと思ったらさらに上がいる。ハングリー精神はいいことかもしれませんが、一生競争から逃れることはできません。
幸せの基準を下げてみる
幸せになれる一番の近道は「幸せの基準を下げる」ことです。極端な話、生きているだけで幸せ、ごはんが食べられるだけ幸せと思えればそれがあなたにとっての幸せになります。幸せかどうかを判断しているのは私たちの心なのですから。自分の心が決めるということは幸せの基準を自分でコントロールできるということです。
世間様の常識から脱出しよう
幼いころ、幸せになるには頑張って努力して結果を残さないといけないとか、偉くなってお金をいっぱい稼がないと幸せになれないとか、社会に必要とされる人間にならないと幸せになれないと教え込まれてきました。だから、小さいころから我慢を覚えて、親や先生の言うことを聞いて、その言葉を信じて生きてきたことでしょう。その言葉は本当でしたか?言いつけを守って生きてきて幸せになれましたか?もう世間様が言うような幸せ像を追いかけなくてもいいんじゃないでしょうか。
見栄やプライドは捨ててしまおう
幸せの基準を下げてしまうと他人様からの目が気になってしまいます。自分自身にも見栄やプライドがあって、他人から変な目で見られるのが恐ろしいと感じることもあるでしょう。あなたの人生は見栄やプライドを満たすためにあるのではありません。あなた自身が幸せになるためにあるのです。他人は他人です。それに見栄やプライドでお腹はいっぱいになりません。他人に迷惑さえかけなければ自分の軸を中心に生活していいのです。
他人様はあなたの幸せに興味なんてない
自分は他人と比較してしまうのに、他人はあなたのことなんて興味ありません。「あの人はお金があるのに、なんで自分は無いのだろう」この「自分は」というのはあなたが勝手に比べて、勝手に自己嫌悪に陥っているだけなのです。この時のあなたは、「あの人はお金がある」ことに注目して自分は不幸だと思っているのです。あの人が幸せかどうかなんて頭の片隅にも出てきません。ただただ、結果を比べてしまっているだけで相手が幸せかどうかなんて興味ないのです。他人様も同じです。あなたがどうなろうと興味が無いのです。
だから、他人の目なんて気にせずに幸せを感じてしまえばいいのです。
まとめ
幸せかどうかは物質的なものではありません。周りと比較して手に入れるものでもありません。日々のささやかなことに幸せを感じることができればそれで幸せなのです。ただ、どうしても他人様との関係性から幸せを感じることができない生き方になってしまうのかもしれません。幸せはもっと身近なところにあるはずなのですから。
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